日記の活動をアピールする気持ち

日記の活動をアピールする気持ちの表れと、気持ちの変化

災害・イヤホン

 「たいていのことは自分に何かできる余地があって、そうでないものはもはや災害なので、逃げる行動をとるべきだ。なので本当に挫折するということが僕にはまだわからない。できることが何もないという状況は(条件を緩和した場合には)あまりないのでは?」という話をしたら、「自分のことについても斜め上から見 てる」と言われた。

 中学生の時にお下がりでMDウォークマンをもらって、どこにでもイヤホンをするようになってから、すべてのことは他人事になった。イヤホンをしたまま家を出ると、自分の頭の中はいつまでも家の中で、周りは窓の外の景色になる。でも身体は家からはみ出しているので雨にぬれたり、人にぶつかったりする。そういう感覚が染みついている。イヤホンをしたまま車に轢かれたことがあるけれど、身体の痛みは確かなのに音楽の鳴り続ける僕の頭はどこか他人事で、夢の中のようだった。

合理的感受性鋭敏性

 基本的に、自分の気持ちに少し鈍感だ。ここ何年かは感情を表に出さず、理性的に、合理的に行動するのがかっこいい・大人だと思っているフシがあるし、それに伴って自分の心の動きに対しても鈍感になってきたような気がする。芸術に触れたときなんかは、人よりも多くの情報を感じて心を動かされると自覚しているけれど、それは受信する心構えができているからで、人との会話など、とっさに受け取るものについてはうまく受け止められていないのではないか。投げられたボールに気づきもしないか、お腹にスマッシュヒットしているのに痛みに気づかないかしている。

 理性的であることと感受性が豊かであること・感情を尊重することは、問題なく両立できることだ。人間に感情は間違いなくあるし、自分や他人に心の動きがあることを無視して論理的・合理的であることだけを目指すのは、それこそ合理的ではない。人間は気持ちで動いている。気持ちになっていきましょう。おわり。

気持ちになる

 

 気持ちの表れを標榜していながら、あまり気持ちを素直に書くことができていない。そもそも僕は文章がかなり下手で、横道に横道に逸れてなんだかわからなくなることが非常に多い。今も「横道に~」のあたりで別なことを書きそうになったし、いま打った文も「横道に~」なんて詳しい箇所を述べないほうがすっきり読めたんじゃないか、とか考えている。

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 ここまでを見返してみると、「そもそも僕は~」からすでに逸れているわけで、そもそも、から始めてもいいけれど二文めの終わり方は一文めを受ける形にしないとダメだろう。さらに逸れ方の解説を三文めで始めてしまったために本当に逸れてしまっている。本当に下手。なかなかな能力だ。

 

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 祖父が一昨年亡くなってから、精神の変質についてよく考える。彼は元々かなり几帳面な性質で、なにごともきっちりしていないと気がすまないのだった。晩年の5年ほどは体調が悪く、なかなか自室から出られなかったが、自分の飲む薬の量や排泄物の量などを毎日事細かに記録していた。世話をしている祖母へもその几帳面さを強要し、時に嫌味なことを言ってしまうために、夫婦は二人ともかなり疲れてしまっていた。僕の記憶している限り、昔の彼はそうではなかった。もっと彼の妻を尊重していた。環境が変わってしまい、老いてしまうためにそのように精神が変質してしまうのだろうか、と彼が亡くなってから考えた。それは恐ろしいことだと思った。

 自分は自分だと信じ込みながらも、常に少しずつ変わっている。5年前の自分を振り返ると、自分はかなり幼稚だったと感じるし、浅はかな行動の一つ一つの際にどんなことを思っていたのか思い出せないことがとても多い。次の5年もどんどん変質していくのだろうか、それとも軸が出来上がって変化は緩やかになっていくのだろうか。今はまだ20代前半なので、今までの5年間とこれからの5年間では話が違うと思っているけれど、実際のところはどうなのだろう。「人間は常に成長できる」なんて言われたりもするけれど、精神の変質がいつもいい方向への成長だとは僕には思えない。慣れや諦めが定着してしまうために起こる変化がきっとたくさんあって、心を守るつもりの姿勢が心の別の部分を硬化させているんじゃないかと思う。

 

これ以上書くと横道に逸れそうなので、今日はここまで。おわり。

 

人間椅子の新譜「怪談 そして死とエロス」 あまりに情景が目に浮かぶ曲ばかりなので思うまま書いてしまおうと思った

 2月3日発売の人間椅子の新アルバム「怪談 そして死とエロス」を店着日に購入した。人間椅子は毎回曲のテーマ、歌詞、楽器隊がしっかりと一つにまとまっているのが特徴だと思っているのだけれど、今回はどれも一回聴いたときから情景が目に浮かぶものばかりで、少し感動した。

 

 

 せっかくなのでファーストインプレッションを書いておこうと思って記事にした。なのでこれはレビューなんておこがましいものではなく、単に自分の目に浮かんだ情景や感想を書くだけのコーナーです。まだ聴いていない人はイメージが固まってしまうのを避けるためにも、何回か聴いてから読んでいただいたほうが絶対に良いと思う。

 


人間椅子「恐怖の大王」 (Ningen Isu - Great king of terror )

 

 

 

 

 

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Realization

 最近、余りにもなにもできない。「やるまでは億劫だけど、手をつけ始めるとやる気が起きるんだよ~科学的にも立証されてるんだよ~」みたいなやつの、手をつけ始めるがいつまでもできない。たぶんその状態が年末から続いていて、本当にまずい自覚がある。でも動けない。ものすごく寝てしまう。

 すこしずつ片付けるのが最良だ。テスト前は、テスト前日に焦り始めるから最悪で、1週間前から始めていればまあまあ、2週間前ならなお良し、3週間前…。そんな話はもちろんわかっている。すこぶる合理的。なんでできないんだろう。中学校までは特にテスト勉強をしなくても点数が取れていたのが一因かもしれない。塾にも通っていたけれど、塾の宿題もロクにやった記憶がない。あのころって何をしていたんだろう。僕は昔を思い出しにくい。高校を卒業しても、大学を卒業しても、ギリギリまで何もせず、結果上手くいくかどうかは50%、みたいな性質がまるで改善しなかった。おそらく50%上手くいってしまっているのが原因なのだけれど、そのせいで痛い目をたくさん見てきたはずだし、こんなの全然大人じゃないこともよくわかっている(よくはわかっていないのだと思う)。大人というのは自然になるものではない。不自然になる・つくるものだと思っている。そろそろ大人になる歳になってしまった。結婚もするつもりだし、子供もつくるつもりなので、やはりそろそろ、大人になる必要がでてきた。

 昔を思い出すのが苦手なのと、反省が苦手なのが原因だ。たくさん思い出して、反省しよう。猫背を治すみたいに、意識することが大切だと思う。おわり。

機内にて

 

7:44〜
 札幌-羽田の機内でこれを書いている。
今は低い雲を抜けて、厚い雲の中。ちょうど羽の横の座席なのだけど、なんだか映画のセットのようだ。揺れるときは頼りなくぐらぐら揺れるし、実は段ボールなのではないかな。
ぐらぐらゆれるにしても、100人以上を担いで高速で空を飛ぶ飛行機はやはりすごい。僕にはなかなかできないと思う。
 
雲の上に出た。
 
 シンガポールへ海外出張に行くことになり、この2ヶ月ほど準備に追われていた。僕なんかはいわゆるペーペーなので、やることも大したことはないのだけど、それでも初めてというのはわからないことだらけだ。だいいち地図がわからない。現地に着いて一番心配なのは道に迷うことだ。最近まで自分は地図に強いと思っていたのだけれど、たんに札幌市街の地理が単純だったというだけだった。最近は、スマホタブレットで調べれば地図なんか覚えなくてもいいという人もたくさんいるけれど、できれば行き方を暗記してから歩き出したい。その結果道に迷ったことは何度もある。道に迷うのが好きなのかもしれない。嫌いじゃないことは間違いない。
 4泊もするくせに僕が活躍するのはたった30分。そのために半年前から準備をしてきた。失敗しても僕が恥をかくだけで、特に人が死んだり最後の審判が早まったりすることはないので、まあ気楽なものだ。
耳が痛くなってきた。
 
 
16:14〜 羽田-シンガポール
 円城塔が、「飛行機の中でしか読めない本があると良い」という書き出しで道化師の蝶を始めていたことを思い出す。地上ではふーんと思って読んでいたけれど、機内では強くそう思う(円城塔が文字通りの意味でそう書いたかは不明)。機内でしか書けない文もあるだろうと思って書いているのだけれど、なんとなくふわふわしている気がする。高速で空の上を移動しながら書かれる文は、常に後ろに流されていってしまう。三次元上のこの点でこの文字を書いた人間というのは、自分以外にいるだろうか。空の上に取り残された文字は、そのまま漂うのか、それとも重力に従って海へ落ちるのか、どちらだろう。
やはりなんとなく意識が取り残されていく。ところで、道化師の蝶を読んだ人ならわかるが、そもそも、今書いている文はほとんど冒頭の受け売り。
 
札幌-羽田の間に、機内でしか作れない曲もあるかなと思って一曲作ってみた。
 

t.co

 1時間ほどで作った割にはまあまあな出来。これが飛行機内で聴くに限る音楽かと言われればべつにそんなことはないと思う。sus2とかsus4とかを積み上げていくコードはもはや自分の手癖のようなものだし、使い回しも多い。絶対に機内で完成させようと思っていたので、うまく風呂敷をたためたのはなかなか良かったと思う。osterreichを聴いてから「こんなのを作ろう」と思って作りはじめたので、どちらかといえばosterreichのことを忘れてから聴くに限る曲ではあるかもしれない。
円城塔の受け売りを続けるとすれば、この曲も「猫の下で聴くに限る」とか、「吹雪の夜に聴くに限る」とかである可能性は十分にあるので、色々試してみる価値はある。
 
 機内はやけに文章が書ける。いつもは行ったり来たりしているので、これくらいの量でもやたらと時間がかかって、その上まとまりがなくなりがちなのだ。そもそも自分が、「飛行機内で書くに限る」の可能性がある。
 

 

冬支度

 この時期、寒空の下で肩をすくめながらライヴハウスの前でだらっと会話をするのが、たまらなく好きです。その場で解散して一人で歩き出すのも好き。出演者としてでも、お客さんとしてでも、ライヴハウスの前はとても好きです。

 僕の住んでいる札幌はこれからどんどん寒くなっていって、それが4月・5月ごろまで続く、本当に憂鬱な季節がやってきます。空も地面も真っ白で目が痛くなるし、自転車で自由にどこでも行くことはできないし、やがて夏がどんなだったか思い出せなくなるほどです。でも、良いライヴの後は、耳が痛くなるような寒さの中歩くのが少し楽しいような、寂しいような、そんな気持ちを演出してくれます。でも寒いのは嫌だ。