日記の活動をアピールする気持ち

日記の活動をアピールする気持ちの表れと、気持ちの変化

変則チューニングについて

 変則チューニングに出会ったきっかけについて。

 エレキギターを8年、エレキベースを4年ほど続けています。ギターを始めて3年目くらいのときにInMeというイギリスのバンドを好きになりました。ジャケになぜか一目ぼれをしてしまい、中身も好みでした。ジャケはこんなのですが、このカカシの女の子がやたら好きです。

デイドリーム・アノニマス

本当に好きで、1曲コピーをやったんですね。Myths & Photographsという曲です。


Inme - Daydream Anonymous - Myths ...

この曲はギターボーカルの3ピースで、冒頭のギターがけっこう難しいです。そんなに有名なバンドでもないのでバンドスコアもなく、耳コピをすることになりました。初めの音からドロップD(6弦を1音下げたチューニングにする)だということがわかったので、そこからどうにかこうにかコピーをしました。タッピングが混ざった印象的なイントロで本当にかっこいいです。コピーバンドでライヴをした当日の演奏がどうだったか正直あんまり覚えてないんですが、お客さんは誰もこの曲を知らないし、ポカーンだったような気がします。

 1年ほど経って、この曲のギターをコピーしている動画を見つけて、びっくりすることがありました。6弦を1音下げるのは間違っていなかったのですが、3弦を1音上げたチューニングだったのです。6弦からDADABEというチューニングになりますが、そんなチューニングのしかたは聞いたことがありませんでした。このチューニングで弾いてみるとイントロは圧倒的に弾きやすくなります。聴きなおしてみると、ハーモニクスの音が普通のチューニングではまず出せないような音だったり、1音上げた3弦の開放の音も聞こえます。聞えていたけれど自分の先入観のせいで、チューニングを変えるという発想がなかったのです。これは衝撃的でした。チューニングありきの曲!漠然と、人と違うことをしたいと考えていた自分にとって、ピッタリハマってしまいました。

 

soundcloud.com

  これはその後始めたバンドで作った曲のアコースティックバージョンです。低い音を出したかったことと、ベーシストが5弦ベースだったこともあり、チューニングはBF#DGBE(6弦が2音半下げ、5弦が1音半下げ)でした。このバンドではほとんどこのチューニングで曲を作ったのですが、本当に面白くて、一人で複雑な音の並びが出せるので大好きなチューニングです。

 soundcloud.com

 これは4ヶ月前に「深夜の2時間DTM」という企画で、お題:BPM160で作った曲です。2時間でどうにかこうにか作りました。チューニングはDADABEで、3カポです。最近はテクニカルなマスロックにはまっていて、でもスキルがそれほどあるわけではないのでチューニングに頼る、というようなことをしています。レギュラーチューニングのよさを再確認したり、7弦、8弦ギターが欲しくなったり、色々な効果があります。おわり。

 

8月について その3

 祖母が亡くなった1週間後、友人からメールが来ていて、高校の友人Kが亡くなったことを知った。メールをもらった当日が葬式で、急いで先週も着た喪服を準備した。

 Kはハンドボールをしていて、大して活動もしていない軽音楽部でギターを弾いていた自分よりは、断然人気者だった。でも誰とでも、本当に誰とでも話せる人柄で、狭い範囲しか関わっていない自分の高校生活の中でも、かなり仲良くしてくれた友人の一人だと思う。音楽の趣味が一緒で、ELLEGARDENONE OK ROCKの話をした。カラオケでエルレの「PUNK」を歌っていた。ドラムに興味があると言っていて、今思い返すと、あの時もう少し強く誘っていれば一緒にバンドをしていたかもしれない。

 彼は四国にいて、よさこいの団体に参加していた。本番が終わったその夜、毎年のお決まりで、Kは仲間と一緒に川に飛び込んだ。前日の雨で増水していた川に飛び込んだKは、一度目は無事に橋の上に戻ってきたが、二度目は川から上がってこず、Kの身体は翌朝下流で発見された。その夜の葬式は、事故から5日も経ち、彼の身体はもう骨になった後に地元に戻ってきて行われたものだった。あまりに唐突で式の間は涙が出なかったが、焼香のために前に出てKの笑顔の写真を見たとたんに涙があふれた。彼の両親はもう気持ちの整理がついているのか、穏やかな顔で挨拶をしてくれた。結局久しぶりに会う高校の友人たちとあまり話すこともできず、家まで歩いて帰った。歩きながら、泣きながら、どう考えても奴自身が一番悪くて、ばかだと思った。

 当たり前に、何年か経って再会して、ゆっくり酒でも飲むのだと思っていた。なんとなく今でもそう思っているかもしれない。8月に死んだ3人について、会えないだけで、どこかの街で生きているのだと思っている気がする。

 

8月について おわり。

8月について その2

 去年、祖母が亡くなった。がんだった。がんであることは1年ほど前からわかっていたけれど、抗がん剤などの治療はせずに生活するということを決めていた。亡くなる1ヶ月前は驚くほど元気で、一緒にご飯を食べに行ったりしていた。「なんだ、元気じゃん」と思ったし、彼女がいつか死ぬということについて全くの無自覚だった。

 8月5日から急に体調を崩して入院した。入院した時点でもう手を施すことがなく、あとはゆっくりそのときを待つのみだと聞かされた。一週間ほど経って祖母の親戚が集まり、自分はそのとき初めて病室に入った。彼女はもうほとんど話すことができず、息を漏らすような声でなにごとかを言うのだけれど、その場にいる誰も聞きとることができなかった。眼は少しにごっていて、まばたきをあまりしなかった。手をにぎって、来週僕の人生を決める大事なことがあって、今一生懸命勉強しているところなんだ、と言うと、彼女は目でちょっと笑って、びっくりするほど強く手をにぎり返した。手は乾いていた。あと数日でこの体の機能が全て永遠に失われるなんて信じられない、という思いと、確かに失われるのだろう、という確信が同時に感じられた。

 翌日、祖母は眠るように息を引き取った。葬式の忙しさというのは、残された人たちにとって気持ちの整理にちょうどいい負担なのだろうと思う。カトリックだった祖母の葬式は、その翌日に教会で行われた。自分は何の宗教にも帰依していないけれど、葬式というのは残された人のためのものなのだなと強く感じた。彼女の信じるところへ向かったのだと、自分たちが思えるようにする儀式なのだと感じた。通夜も教会で行われた。会う人はみな、涙を流しながらも穏やかな顔だった。更に翌日、祖母の身体は燃やされ、骨になった。人の身体を燃やすなんてすごいことをするな、そのためだけにこんな大きな施設を作るなんて、人間の文化というのはばかにできないなと思った。人の死をイベントにすることで、自分たちは気持ちを切り替えていけるのだなと思った。骨壷に入れられた祖母とともに教会に戻り、聖歌を歌った。歌は確かに、何かよくわからない力をもっていた。

 

8月に思い出すこと。おわり。

8月について その1

 3年前から8月がだいぶおかしな月になっている。8月になると、どうしても思い出すことがある。

 3年前に九弦さんという名前で活動していたベーシストが亡くなった。当時自分はベースを始めてまだ日が浅い頃で、彼が放送していたニコニコ生放送をしょっちゅう観ていた。名前の通り9弦ベースを弾く、本当に良いプレイヤーだった。ベースの先生をしていた。当時の自分は、彼のプレイやアドバイスを熱心に聞いて練習していて、コメントを拾ってもらったのがきっかけで、フジゲンの5弦ベースを買うことにした覚えがある。結局一度も彼の顔を直接見たことはないし、彼がこちらを認識してくれていたかも怪しいのだけれど、かっこいいプレイヤーの演奏を間近で観られて、かっこいいプレイヤーの日常も観ることができて、楽しく放送を観ていた。お酒を飲みながら夜遅くまで楽しそうにベースを演奏し語る姿が大好きだった。

 自殺だったらしい。3年前のその夜、九弦さんのお兄さんだというアカウントがTLにあらわれて、弟が亡くなったという話をしだした。意味がわからなかった。情報がツイッターにしかなくて、混乱しながらいろんな単語で検索をかけて、そうしてだんだん涙があふれてきた。嘘でもデマでもなかった。夜中の3時まで泣き続けた。会ったこともない、画面の向こうの人のことでこんなに泣いているのが不思議だった。

 当然もっと彼のことをよく知っている人がいるわけで、生放送を観ていただけの自分が、彼の演奏を生で聴いたこともない自分程度がこんなに悲しむなんて失礼だと思った。でも涙が枯れるにつれて、いちばんひどいのは九弦さん自身じゃないかと思えた。こんなどうでもいい自分すら悲しませることをしたんだ、本当に許せない。絶対に忘れない。

 

 3年前から毎年彼のことを思い出している。そして、だんだん忘れてしまっている。それは自然なことで、とても寂しいのだけれど、彼の演奏はまだ聴ける。

www.youtube.com

でもこれは過去のもので、劣化はしないけれどさらに良くなることもない。プレイヤーは生きている限り努力し続けるものだから、彼のキャリアはあれからもっとすばらしいものになっただろう。自ら命を絶った彼は本当にばかでひどい。

 

8月に思い出すこと。おわり。

日記

 日記が続いたためしがないのだけれど、時折、ある程度長い文章を書きたいことが出てきて、そういうときにこういうものがあると良い気持ちになることがあるだろうと思い開設した。たとえば今日のような、8月の末に思い出すことを書きたい日に、書きたいことを書く。