日記の活動をアピールする気持ち

日記の活動をアピールする気持ちの表れと、気持ちの変化

定義域

「行き詰まる」の意味で「煮詰まる」を使っている人をみるとむかつくし、「17時台」を「17時代」と書いている人に対しても滅びよと思ってしまう。これらは単なる誤用だけれど、いつも言葉の定義にこだわってしまう傾向にある。

言葉の定義を拡張することは、面白い文章表現には不可欠で、本来扱わない領域にある言葉を持ってくることでどきどきするような表現が生まれたりする。最近は視覚的表現に関心があって(フォントとか)、しばらく本を読まないうちにどんどんつまらない人間になってしまった。自覚だけはあるけれど、ゲームは面白いし、オナニーは気持ちいい。

正直、自分のような頭の固い人間にとっては詩的表現も分析的に捉えて学ぶものであるので、若さや感性のたまものとしての詩という扱いには疑問を感じる。

 

今年も3分の1が過ぎようとしているけれど、今年の目標を設定することをまだ諦めていない。今年は慣れていないことをたくさんしていきたい。短歌とか。

過呼吸のまち電源なく生きうるどこからが自分どこからでも