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日記の活動をアピールする気持ち

日記の活動をアピールする気持ちの表れと、気持ちの変化

セカイ径

自分が思っているより、自分の思っていることをつらっと書けてしまう人が多いのだなと感じる。もしかしてみんな、特別に恰好をつけずに文章がかけるのだろうか。最近読んでいるブログには、「きみ」だの「世界」だのが、なんの断りもなしに出てくる。自分の内面を自分の内面のまま写し取ったような、でたらめなのに魅力ある文章が飛び出してくる。僕にはまだ、そのような文章がかけそうにない。

5年くらい前からバンドをしたりやめたりして、曲をつくっている。いくつかは英語で、大抵は歌詞から作る。ほとんどはシーンをつなぎ合わせたもので、叙情的なものはあまりない。と思う(とはいえ英語で詩を書くのが特別うまいわけではない)。あまり自分の感情に関心がない傾向にあるので、それが詩にも表れているという気がする。誰かの感情の動きという、不確かでどうでもいいものより、情景を示すことによって反応を見たいのかもしれない。とはいえアマチュアバンドの歌詞に関心を示す人なんて稀で、事実今まで2人くらいにしか歌詞の話をされたことはない。

 

 世界は自分の中にしかないと思っているわりに、自分のこととなるとまるで頑張れる様子がない。結局のところ、他人という外圧がないと怠惰が膨張して自分の形を定められないので、みんなもっと外圧をかけてほしい。それで一生をやっていけるなら、それで何の問題もないと思っている。結果としては、外圧がかかっていたほうが世界が広がるような気もしていて、そうしてどんどん径を広げていけたらいいと思っている。僕にとってのきみは一人しかおらず、きみにも圧力をかけてほしいので、セカイ系としてはなんだか恰好のつかないかたちになる。