さからう
さからって生き、あらがって生きる。あがなって生きる。そのように、生きうる。
まだ20代でもう20代だけれど、最近やけに生きることについてのことがらがしみ込んでくる。生きる人や生きない人がいて、僕はまだ生きている。生きなかった人の灰がどこを見ても広がっていて、眼鏡でもかけていないとやってられない。生きる人も生きない人も裸眼で見られる人は、よくやっているなあと思う。
すべては僕の問題であって、僕の問題でないものは存在しない。僕の周りにいる人が生きるか生きないかは僕の問題だ。他人の命を勝手に背負い込んでいる?生き死にをコントロールできるという話ではない。周りの人間が生きるという出来事・生きないという出来事に対面している僕には、僕の問題しかないという話だ。
あたりまえすぎた。くだらない話だ。
死んだことのない僕たち。
でも生きていてほしいよ。みんなに生きていてほしい。死なないといけないことに対面したことがないから、それがどのようなことか、まだわからない。そんなことに対面したときは死ぬのだから、迷いはないのだろうと想像はするけれど、これは定義がそうだからで、それってどんなことなのだろう。一体どうしたとき、生きないことを選ぶのですか。