日記の活動をアピールする気持ち

日記の活動をアピールする気持ちの表れと、気持ちの変化

人間椅子の新譜「怪談 そして死とエロス」 あまりに情景が目に浮かぶ曲ばかりなので思うまま書いてしまおうと思った

 2月3日発売の人間椅子の新アルバム「怪談 そして死とエロス」を店着日に購入した。人間椅子は毎回曲のテーマ、歌詞、楽器隊がしっかりと一つにまとまっているのが特徴だと思っているのだけれど、今回はどれも一回聴いたときから情景が目に浮かぶものばかりで、少し感動した。

 

 

 せっかくなのでファーストインプレッションを書いておこうと思って記事にした。なのでこれはレビューなんておこがましいものではなく、単に自分の目に浮かんだ情景や感想を書くだけのコーナーです。まだ聴いていない人はイメージが固まってしまうのを避けるためにも、何回か聴いてから読んでいただいたほうが絶対に良いと思う。

 


人間椅子「恐怖の大王」 (Ningen Isu - Great king of terror )

 

 

 

 

 

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Realization

 最近、余りにもなにもできない。「やるまでは億劫だけど、手をつけ始めるとやる気が起きるんだよ~科学的にも立証されてるんだよ~」みたいなやつの、手をつけ始めるがいつまでもできない。たぶんその状態が年末から続いていて、本当にまずい自覚がある。でも動けない。ものすごく寝てしまう。

 すこしずつ片付けるのが最良だ。テスト前は、テスト前日に焦り始めるから最悪で、1週間前から始めていればまあまあ、2週間前ならなお良し、3週間前…。そんな話はもちろんわかっている。すこぶる合理的。なんでできないんだろう。中学校までは特にテスト勉強をしなくても点数が取れていたのが一因かもしれない。塾にも通っていたけれど、塾の宿題もロクにやった記憶がない。あのころって何をしていたんだろう。僕は昔を思い出しにくい。高校を卒業しても、大学を卒業しても、ギリギリまで何もせず、結果上手くいくかどうかは50%、みたいな性質がまるで改善しなかった。おそらく50%上手くいってしまっているのが原因なのだけれど、そのせいで痛い目をたくさん見てきたはずだし、こんなの全然大人じゃないこともよくわかっている(よくはわかっていないのだと思う)。大人というのは自然になるものではない。不自然になる・つくるものだと思っている。そろそろ大人になる歳になってしまった。結婚もするつもりだし、子供もつくるつもりなので、やはりそろそろ、大人になる必要がでてきた。

 昔を思い出すのが苦手なのと、反省が苦手なのが原因だ。たくさん思い出して、反省しよう。猫背を治すみたいに、意識することが大切だと思う。おわり。

機内にて

 

7:44〜
 札幌-羽田の機内でこれを書いている。
今は低い雲を抜けて、厚い雲の中。ちょうど羽の横の座席なのだけど、なんだか映画のセットのようだ。揺れるときは頼りなくぐらぐら揺れるし、実は段ボールなのではないかな。
ぐらぐらゆれるにしても、100人以上を担いで高速で空を飛ぶ飛行機はやはりすごい。僕にはなかなかできないと思う。
 
雲の上に出た。
 
 シンガポールへ海外出張に行くことになり、この2ヶ月ほど準備に追われていた。僕なんかはいわゆるペーペーなので、やることも大したことはないのだけど、それでも初めてというのはわからないことだらけだ。だいいち地図がわからない。現地に着いて一番心配なのは道に迷うことだ。最近まで自分は地図に強いと思っていたのだけれど、たんに札幌市街の地理が単純だったというだけだった。最近は、スマホタブレットで調べれば地図なんか覚えなくてもいいという人もたくさんいるけれど、できれば行き方を暗記してから歩き出したい。その結果道に迷ったことは何度もある。道に迷うのが好きなのかもしれない。嫌いじゃないことは間違いない。
 4泊もするくせに僕が活躍するのはたった30分。そのために半年前から準備をしてきた。失敗しても僕が恥をかくだけで、特に人が死んだり最後の審判が早まったりすることはないので、まあ気楽なものだ。
耳が痛くなってきた。
 
 
16:14〜 羽田-シンガポール
 円城塔が、「飛行機の中でしか読めない本があると良い」という書き出しで道化師の蝶を始めていたことを思い出す。地上ではふーんと思って読んでいたけれど、機内では強くそう思う(円城塔が文字通りの意味でそう書いたかは不明)。機内でしか書けない文もあるだろうと思って書いているのだけれど、なんとなくふわふわしている気がする。高速で空の上を移動しながら書かれる文は、常に後ろに流されていってしまう。三次元上のこの点でこの文字を書いた人間というのは、自分以外にいるだろうか。空の上に取り残された文字は、そのまま漂うのか、それとも重力に従って海へ落ちるのか、どちらだろう。
やはりなんとなく意識が取り残されていく。ところで、道化師の蝶を読んだ人ならわかるが、そもそも、今書いている文はほとんど冒頭の受け売り。
 
札幌-羽田の間に、機内でしか作れない曲もあるかなと思って一曲作ってみた。
 

t.co

 1時間ほどで作った割にはまあまあな出来。これが飛行機内で聴くに限る音楽かと言われればべつにそんなことはないと思う。sus2とかsus4とかを積み上げていくコードはもはや自分の手癖のようなものだし、使い回しも多い。絶対に機内で完成させようと思っていたので、うまく風呂敷をたためたのはなかなか良かったと思う。osterreichを聴いてから「こんなのを作ろう」と思って作りはじめたので、どちらかといえばosterreichのことを忘れてから聴くに限る曲ではあるかもしれない。
円城塔の受け売りを続けるとすれば、この曲も「猫の下で聴くに限る」とか、「吹雪の夜に聴くに限る」とかである可能性は十分にあるので、色々試してみる価値はある。
 
 機内はやけに文章が書ける。いつもは行ったり来たりしているので、これくらいの量でもやたらと時間がかかって、その上まとまりがなくなりがちなのだ。そもそも自分が、「飛行機内で書くに限る」の可能性がある。
 

 

冬支度

 この時期、寒空の下で肩をすくめながらライヴハウスの前でだらっと会話をするのが、たまらなく好きです。その場で解散して一人で歩き出すのも好き。出演者としてでも、お客さんとしてでも、ライヴハウスの前はとても好きです。

 僕の住んでいる札幌はこれからどんどん寒くなっていって、それが4月・5月ごろまで続く、本当に憂鬱な季節がやってきます。空も地面も真っ白で目が痛くなるし、自転車で自由にどこでも行くことはできないし、やがて夏がどんなだったか思い出せなくなるほどです。でも、良いライヴの後は、耳が痛くなるような寒さの中歩くのが少し楽しいような、寂しいような、そんな気持ちを演出してくれます。でも寒いのは嫌だ。

 

変則チューニングについて

 変則チューニングに出会ったきっかけについて。

 エレキギターを8年、エレキベースを4年ほど続けています。ギターを始めて3年目くらいのときにInMeというイギリスのバンドを好きになりました。ジャケになぜか一目ぼれをしてしまい、中身も好みでした。ジャケはこんなのですが、このカカシの女の子がやたら好きです。

デイドリーム・アノニマス

本当に好きで、1曲コピーをやったんですね。Myths & Photographsという曲です。


Inme - Daydream Anonymous - Myths ...

この曲はギターボーカルの3ピースで、冒頭のギターがけっこう難しいです。そんなに有名なバンドでもないのでバンドスコアもなく、耳コピをすることになりました。初めの音からドロップD(6弦を1音下げたチューニングにする)だということがわかったので、そこからどうにかこうにかコピーをしました。タッピングが混ざった印象的なイントロで本当にかっこいいです。コピーバンドでライヴをした当日の演奏がどうだったか正直あんまり覚えてないんですが、お客さんは誰もこの曲を知らないし、ポカーンだったような気がします。

 1年ほど経って、この曲のギターをコピーしている動画を見つけて、びっくりすることがありました。6弦を1音下げるのは間違っていなかったのですが、3弦を1音上げたチューニングだったのです。6弦からDADABEというチューニングになりますが、そんなチューニングのしかたは聞いたことがありませんでした。このチューニングで弾いてみるとイントロは圧倒的に弾きやすくなります。聴きなおしてみると、ハーモニクスの音が普通のチューニングではまず出せないような音だったり、1音上げた3弦の開放の音も聞こえます。聞えていたけれど自分の先入観のせいで、チューニングを変えるという発想がなかったのです。これは衝撃的でした。チューニングありきの曲!漠然と、人と違うことをしたいと考えていた自分にとって、ピッタリハマってしまいました。

 

soundcloud.com

  これはその後始めたバンドで作った曲のアコースティックバージョンです。低い音を出したかったことと、ベーシストが5弦ベースだったこともあり、チューニングはBF#DGBE(6弦が2音半下げ、5弦が1音半下げ)でした。このバンドではほとんどこのチューニングで曲を作ったのですが、本当に面白くて、一人で複雑な音の並びが出せるので大好きなチューニングです。

 soundcloud.com

 これは4ヶ月前に「深夜の2時間DTM」という企画で、お題:BPM160で作った曲です。2時間でどうにかこうにか作りました。チューニングはDADABEで、3カポです。最近はテクニカルなマスロックにはまっていて、でもスキルがそれほどあるわけではないのでチューニングに頼る、というようなことをしています。レギュラーチューニングのよさを再確認したり、7弦、8弦ギターが欲しくなったり、色々な効果があります。おわり。

 

8月について その3

 祖母が亡くなった1週間後、友人からメールが来ていて、高校の友人Kが亡くなったことを知った。メールをもらった当日が葬式で、急いで先週も着た喪服を準備した。

 Kはハンドボールをしていて、大して活動もしていない軽音楽部でギターを弾いていた自分よりは、断然人気者だった。でも誰とでも、本当に誰とでも話せる人柄で、狭い範囲しか関わっていない自分の高校生活の中でも、かなり仲良くしてくれた友人の一人だと思う。音楽の趣味が一緒で、ELLEGARDENONE OK ROCKの話をした。カラオケでエルレの「PUNK」を歌っていた。ドラムに興味があると言っていて、今思い返すと、あの時もう少し強く誘っていれば一緒にバンドをしていたかもしれない。

 彼は四国にいて、よさこいの団体に参加していた。本番が終わったその夜、毎年のお決まりで、Kは仲間と一緒に川に飛び込んだ。前日の雨で増水していた川に飛び込んだKは、一度目は無事に橋の上に戻ってきたが、二度目は川から上がってこず、Kの身体は翌朝下流で発見された。その夜の葬式は、事故から5日も経ち、彼の身体はもう骨になった後に地元に戻ってきて行われたものだった。あまりに唐突で式の間は涙が出なかったが、焼香のために前に出てKの笑顔の写真を見たとたんに涙があふれた。彼の両親はもう気持ちの整理がついているのか、穏やかな顔で挨拶をしてくれた。結局久しぶりに会う高校の友人たちとあまり話すこともできず、家まで歩いて帰った。歩きながら、泣きながら、どう考えても奴自身が一番悪くて、ばかだと思った。

 当たり前に、何年か経って再会して、ゆっくり酒でも飲むのだと思っていた。なんとなく今でもそう思っているかもしれない。8月に死んだ3人について、会えないだけで、どこかの街で生きているのだと思っている気がする。

 

8月について おわり。

8月について その2

 去年、祖母が亡くなった。がんだった。がんであることは1年ほど前からわかっていたけれど、抗がん剤などの治療はせずに生活するということを決めていた。亡くなる1ヶ月前は驚くほど元気で、一緒にご飯を食べに行ったりしていた。「なんだ、元気じゃん」と思ったし、彼女がいつか死ぬということについて全くの無自覚だった。

 8月5日から急に体調を崩して入院した。入院した時点でもう手を施すことがなく、あとはゆっくりそのときを待つのみだと聞かされた。一週間ほど経って祖母の親戚が集まり、自分はそのとき初めて病室に入った。彼女はもうほとんど話すことができず、息を漏らすような声でなにごとかを言うのだけれど、その場にいる誰も聞きとることができなかった。眼は少しにごっていて、まばたきをあまりしなかった。手をにぎって、来週僕の人生を決める大事なことがあって、今一生懸命勉強しているところなんだ、と言うと、彼女は目でちょっと笑って、びっくりするほど強く手をにぎり返した。手は乾いていた。あと数日でこの体の機能が全て永遠に失われるなんて信じられない、という思いと、確かに失われるのだろう、という確信が同時に感じられた。

 翌日、祖母は眠るように息を引き取った。葬式の忙しさというのは、残された人たちにとって気持ちの整理にちょうどいい負担なのだろうと思う。カトリックだった祖母の葬式は、その翌日に教会で行われた。自分は何の宗教にも帰依していないけれど、葬式というのは残された人のためのものなのだなと強く感じた。彼女の信じるところへ向かったのだと、自分たちが思えるようにする儀式なのだと感じた。通夜も教会で行われた。会う人はみな、涙を流しながらも穏やかな顔だった。更に翌日、祖母の身体は燃やされ、骨になった。人の身体を燃やすなんてすごいことをするな、そのためだけにこんな大きな施設を作るなんて、人間の文化というのはばかにできないなと思った。人の死をイベントにすることで、自分たちは気持ちを切り替えていけるのだなと思った。骨壷に入れられた祖母とともに教会に戻り、聖歌を歌った。歌は確かに、何かよくわからない力をもっていた。

 

8月に思い出すこと。おわり。